DTM部屋を作ろうパート1
引っ越しも終わりまして、いい機会なのでしっかりとDTMを始めようと思いました。
ということで、まずはずっと前からなんとかしたかったデスクの選定から。
色々と調べたんですが、DTMデスクで検索すると自作のデスクが沢山出てくるんですね。
確かに、日本じゃあまりDTM用のデスクって出回ってないし、それが一番融通が利いていいんだろうなあ。
でもめんどくさい。社会人なので金で時間を買います。
色々情報を集めたのですがめんどいのでその過程は省略。
興味ある人は聞いてくれたら答えます。
これにしました。
あ、このブログはアフィリエイトとかやってないので普通にクリックしてください。
僕はアフィリエイトのブログで気になる商品を見つけたら絶対クリックしないで名前だけコピペしてGoogleで検索してます。
僕が必要としていた条件は、
・引き出し式のキーボードテーブルがある
・モニターが2つ置ける
・できればラックマウントしたい
・MIDIキーボードとキーボードを縦に置けるだけの奥行きがある
……です。
キーボードが2つあって字面は意味分かりませんが感じてください。
これはちょっとモニターの位置が高いかなあ……というのが不安だけど……まあどうにでもなるでしょ。
サクサクいきます。
届きました。
でかいです。重いです。もう存在が輸送事故です。
開封しました。
我が家の湯船くらいあります。ちょっと頑張れば住めるかもしれません。
組み立てました。
組み立てたあとも相当でかいです。部屋の1/3が机になりました。
組み立ての最中でキーボード台を逆に取り付けてしまい、キーボードが奥の奥まで逃げて行くという嫌がらせの極みみたいな机になりましたが直しました。
ところで僕の部屋、四角形の部屋なので壁面は勿論4カ所あるんですが、
①窓
②収納の扉
③壁
④入り口と納戸の扉
という構成なので、机を置くところってもう③しかないんですよね。
てか④の納戸、僕の部屋からも廊下からも行けるようになってるんですけど、別に廊下から行ければいいのに何で繋げちゃったの。
さて、次回は機材を配置していきます。
引っ越しが終わりました。
ピンク
いや権利の問題があるので僕が描きましたけどね。
※参考画像
V系に疎い人から見たV系
ヴィジュアル系バンド。
皆さんは好きですか?僕は別に嫌いではないです。
好きなバンドもいます(ムックが大好きです)。
これを読んでいる人はいわゆる「ロキノン系」が好きな人が多いんじゃないかと思うんです。
読んでる人のほとんどが僕のTwitterから来ているはずで、そうなると趣味が近いのかと思うので。
ヴィジュアル系バンド(以下「V系」と書きます)ってそのロキノン系バンドとは対極にありますよね。
僕は「V系だからって嫌いな訳じゃないし、けど特別好きでもない、でもちょくちょく聴くバンドの中にV系のバンドは何組かいるな」くらいの微妙な立ち位置にいるのですが、
この記事では「V系が別に嫌いじゃないけど好きではない人から見たV系」という視点で書いています。
なので偏見が混ざらないとは言い切れません。
それでも大丈夫という方のみ続きを読んで下さいね。
V系のファンってちょっとでもその人達の思考と違う発言するとすぐ殺してきそうで怖い(早速の偏見)。
そもそも世間から見たV系というのはこんな感じだと思います。
・化粧している
・甲高い声で歌う
・曲が重苦しい
・盲目的な、または物凄く熱心なファンが多い
・青のこと蒼とか碧とか言う
・赤のこと紅とか朱とか言う
・空のこと穹とか昊とか言う
・メンバーのことゴリラとかパグとか言う
みたいな感じです。
「これがなければV系じゃない」と思いますよね。
日本のヒットチャートを見るとアイドルがとても多いんですけど、
これって「この人が好きだから曲も好き」っていうファンが多いと思うんですよ。
V系のファンってそれに酷似している(同じではない)構図なんですよね。
「メンバーのこの人が好きでこのバンドを追っかけてる」って人がすごく多いんですよ。
特にV系はサイン会や握手会といったイベントも多く開かれるし、
1つのシングルを3種類くらい出す(カップリング曲が多いもの、DVD付きのもの、ライブ音源が入っている、などの違いで)バンドが多い。
そうなると売り方自体もアイドルのそれに似ている。
日本人相手に音楽を聴いてもらう手段としては、かなり理に適っているなと思うんですけどね。
そもそもV系って日本で生まれた文化なんですよ。
名のある洋楽バンドの焼き増しとか揶揄する人もいるロキノン界隈よりも、
そういう意味では「日本独自の音楽スタイル」と言えるかもしれません。
しかし、そのサウンドは重苦しいものが多い。
7弦ギターと5弦ベース、そしてツーバスのドラムでズシズシ鳴らすバンドが沢山います。
ボーカルが甲高い声で歌うのはこれが理由でしょう。
楽器隊がそういう重低音を鳴らしているのに低音ボイスのボーカルがいたら聴こえません。
重低音がズシズシ鳴って甲高い声で歌うという構成は、
音楽ジャンルとしてはメタルに近いでしょう。
そもそも今のV系という文化はメタルから来ていると思われます。
近年の若いV系バンドの人達は、「このバンドに憧れて始めた」というリスペクトを、
先輩のV系バンドマンに向けているのでしょうが、
ではその先輩のバンドマンは誰に憧れていた?
更にその先輩は?と、源流を辿って行けばメタルやハードロックが好きでバンドを始めた人達に辿りつくのではないでしょうか。
しかしメタルやハードロックはあまり日本では受け入れられてこなかった。
バンドブームが訪れていたときでさえ、「邦楽史に名を残したメタルバンド」はあまりいません。
だからこそそう言った音楽を売ろうとする流れでV系という文化が生まれ、
それが独自の世界観を作り上げて今に至る……という感じなんでしょう。
(そういえば海外のメタルやハードロックでメイクをしているバンドもいます)
そういった変遷の中で、「メタルの派生としてのV系」から「V系」というスタイルが独立した。
そして今は「V系のエレクトロ」とか「V系のパワーポップ」という形も成立している。
メタルと共にあったはずのジャンルがメタルから離れ、他の音楽と融合してしまう。
なのに「ヴィジュアル系」という言葉でまとめられるし、誰に言ってもそれで通じる。
とても面白い。興味深い。
さて、先ほど「V系は日本の文化」と言いましたが、
それを知って「V系やりたい!」と思う親日派の外国人もいるのです。
という訳で最後に僕の大好きな曲を貼ります。
ロシアのV系バンドです。
AKADO - Oxymoron №2 (Official Video) Remastered 2008
引っ越しとジャズマスター
引っ越しをします。
今の部屋もかなり気に入っていて、上京してから7年以上住んだので、
かなり思い出深い部屋なのですが、ついに引っ越しをします。
……今度は引っ越しの話を書くよと散々言ったのに、
いざ書こうとしたらあんまり書くことがなかったです。
(あんまり書いても個人情報が云々だしね!!)
とりあえず新しく家具を買ったり色々忙しくなるけど、楽しみです。
とまあ、色々とお金がいるのですが、
来月ついに僕のオリジナルなジャズマスターが完成するようです。
僕の実家のある北海道函館市にある、アヴァンチュールギターズという工房でオーダーしたジャズマスターです。
函館という小さな街の工房ですが、
人間椅子の和嶋慎治氏や、世界的に有名なマーティ・フリードマン氏のギターも作ったことがあるという工房なのです。
僕の好みを詰め込んだジャズマスターです。楽しみ!!!!楽しみ!!!!
楽しみなことが多いので楽しみです(語彙力がない)。
色々と終わったらまたPills the Candy Girlの活動も復活させていきます。
また宜しくね。
前に勤めていた会社のことを思い出した
ので愚痴を書きます。
僕は高専を卒業して、特に苦労することなく就職しました。
と言っても僕はバイトの面接さえ10回以上落ちているクソなので、
僕が受かった時点で「もう誰でもいいから人手くれ」的な会社だったんだと思います。
制御盤(要は工場を自動で動かすための装置)のハード設計とソフトを作る仕事だったんですが、
そんな仕事入社してすぐできるもんじゃないです。
なので、新入社員1人に、1人の教育担当が付くシステムでした。
僕の教育担当の先輩は僕が入社した時点で既に長期出張に出ていて、研修期間を終えるで顔も知りませんでした。
あと新入社員って普通は研修がありますよね。
僕が務めた会社も3カ月の研修が予定されていました。予定されていただけでした。
研修は1カ月で打ち切られたのです。
Kという部長代理がいました。
彼は社長と仲が良くて好き勝手できる立場でした。
そして彼は一言で言うといわゆる「老害」だったんです。
K部代は突然「セールスエンジニアリング部」という部を立ち上げました。
要は「新しい客先を見付ける営業活動と、その新しい客先から今までやったことのないような開発・製造を請け負ってどんどん新しいことやろうぜ」的なやつです。
彼はそこで某社から「うちのビニールハウスのトマトを自動で収穫する装置を作ってほしい」という仕事を貰ってきました。
確かにそんなものが実現したら収穫時間は短縮できるし人件費も削れて最高ですね。
その仕事を僕らがやることになりました。研修も終えてない就職から1カ月の新人、たった4人です。
しかし会社はロクに予算を出しません。
何故ならこれは利益が上がるとは限らない未知への挑戦だからです。
数十万は出してくれてましたが、ちょっと調べてみたらオランダだかどこだかの大学で何年も前から数億円の予算を使って同様の研究をしていました。
立派な大学で数億円の予算と10年単位の時間をかけて研究していることを、
新人4人と老害1人で数十万でやれと言うのです。
もうその時点でどう考えても無理です。バカです。
それでも努力はしました。
プログラミングと画像処理とロボットの勉強を沢山しました。
ピンポン玉をトマトに見立てて、カメラに映ったそれを画像処理によって見つけ出し、
上手いこと掴むロボットとプログラムを完成させました。
でも現実の果実なんてものは、形も色もランダムです。無理です。
仮にこれを収穫できるロボットができたとして、
既存のビニールハウスにそれを走らせるための数千万の予算は出ません。
結局社長が見切りを付けてこの仕事はなかったことになり、
僕らは会社の予算をクソみたいなロボット遊びに使って何の利益も上げらなかった集団という肩書の元、
何も出来ない社員のまま研修期間をとっくに過ぎた頃に技術部所属となりました。
その後も色々無理な仕事がたくさんありましたが、まあそれはもういいです。
とりあえずサビ残ばっかりでクソでした。
会社が近くに家を借りてくれて、家賃も6万まで出してくれるという待遇でしたが、
終電を気にせず会社に残らせることができたからでしょうねきっと。
それでも3年近く勤めました。すごいと思います。
ある日いきなりタイに出張に行けと言われました。
先輩でアメリカに出張に行けと言われた人がいました。
その人は僕が入社する前に出張に行ったきり何年も帰ってきてませんでした。
僕は顔も知りませんでした。
聞いた話では結婚して家も買って……というところでアメリカに行かされたとかで。
それを聞いていたので、もちろんこちらは身構えます。
すると会社の中でも相当偉い立場にいた専務が僕を寿司屋に連れて行ってくれました。
「ビザは3カ月で切れるから、3カ月で帰ってこれるから」と言いました。
さすがにそれなら大丈夫かと、僕はタイの首都、バンコクへ飛びました。
タイに着いて、現地の社員が歓迎会をしてくれました。
そして「引っ越し大変だね」とか「バイク乗るんだ?それどうするの?売るの?」とか言ってきました。もう意味がわかりませんでした。
どうやら3カ月後には一旦日本に帰ってタイに引っ越しする準備をする前提で話が進んでいたらしいです。
もうその日には「帰ったら辞めるわクソが」っていう内容のメールを上司にぶん投げていました。
そしてここでの仕事もクソでした。
客先「プログラムを作って下さい」
ぼく「どんなプログラムですか」
客先「プログラムです」
ぼく「いや、何をするプログラムを作ればいいんですか」
客先「それは自分で考えて下さい。とにかくプログラムです」
ぼく「これでは全く仕事にならない」
タイ支部の上司「こいつ使えないんですけど」
日本の上司「あいつを行かせた私の人選ミスです」
……こんな感じでした。
とりあえず日本に帰ってきて即辞めました。
前に僕が担当した案件の改造依頼があるから12月20日くらいまで在籍してほしいと言われましたが、
「知るかバーカ死ね!!!」って感じでした。
だいたい12月20日までって、「残りの仕事は片付けてもらう、ただしボーナスは支給しない」って魂胆が丸見えです。
まあ出ても多くて10万ちょいくらいでしたけども。
「それをやらないなら16日(確か)で辞めてもらう」ということになりましたが、
有給をまともに使えば僕は出勤せずに1月まで在籍していることになっていたはずです。
貰えたはずの諸々を貰えないことにされましたが、もう一刻も早く辞めたかったので辞めました。
もうとにかくクソだったなあってことしか思い出せません。
今でも当時の同期と年に2回ほど会って飲みに行きます。
彼ももうそこを辞めています。というか僕を含めて同期は全員辞めています。
と思ったらその会社、数年前に解散しました。
倒産じゃなくて解散です。バンドかよ。
ざまあみろクソが。
今は転職してまともに仕事しています。
仕事は大変だしまだまだ勉強中ですが、
サビ残がない(むしろ時間を越えて残業すると怒られる)ことに感動しました。
300万しかなかった年収がものすごい上がりました。
家賃手当だけは唯一前の会社の方が2万くらい高かったんですが、
結婚すると家賃手当が倍になるので、今の年収は実質2倍近くです。
今ブラックな環境に置かれている人、
世間は「ヤバいと思ったらすぐ逃げていい」とか言いますが、
そんなことすぐには出来ないだろアホかって思います。
僕は無責任にそんなこと言えません。
でも勇気を出す価値はあると思います。