川崎ヒナのRe:寂しい深海魚

社会人バンドマンがなんか色々書く。

前に勤めていた会社のことを思い出した

ので愚痴を書きます。

 

僕は高専を卒業して、特に苦労することなく就職しました。

と言っても僕はバイトの面接さえ10回以上落ちているクソなので、

僕が受かった時点で「もう誰でもいいから人手くれ」的な会社だったんだと思います。

 

制御盤(要は工場を自動で動かすための装置)のハード設計とソフトを作る仕事だったんですが、

そんな仕事入社してすぐできるもんじゃないです。

なので、新入社員1人に、1人の教育担当が付くシステムでした。

僕の教育担当の先輩は僕が入社した時点で既に長期出張に出ていて、研修期間を終えるで顔も知りませんでした。

 

あと新入社員って普通は研修がありますよね。

僕が務めた会社も3カ月の研修が予定されていました。予定されていただけでした。

研修は1カ月で打ち切られたのです。

 

Kという部長代理がいました。

彼は社長と仲が良くて好き勝手できる立場でした。

そして彼は一言で言うといわゆる「老害」だったんです。

K部代は突然「セールスエンジニアリング部」という部を立ち上げました。

要は「新しい客先を見付ける営業活動と、その新しい客先から今までやったことのないような開発・製造を請け負ってどんどん新しいことやろうぜ」的なやつです。

 

彼はそこで某社から「うちのビニールハウスのトマトを自動で収穫する装置を作ってほしい」という仕事を貰ってきました。

確かにそんなものが実現したら収穫時間は短縮できるし人件費も削れて最高ですね。

その仕事を僕らがやることになりました。研修も終えてない就職から1カ月の新人、たった4人です。

 

しかし会社はロクに予算を出しません。

何故ならこれは利益が上がるとは限らない未知への挑戦だからです。

数十万は出してくれてましたが、ちょっと調べてみたらオランダだかどこだかの大学で何年も前から数億円の予算を使って同様の研究をしていました。

 

立派な大学で数億円の予算と10年単位の時間をかけて研究していることを、

新人4人と老害1人で数十万でやれと言うのです。

もうその時点でどう考えても無理です。バカです。

 

それでも努力はしました。

プログラミングと画像処理とロボットの勉強を沢山しました。

ピンポン玉をトマトに見立てて、カメラに映ったそれを画像処理によって見つけ出し、

上手いこと掴むロボットとプログラムを完成させました。

 

でも現実の果実なんてものは、形も色もランダムです。無理です。

仮にこれを収穫できるロボットができたとして、

既存のビニールハウスにそれを走らせるための数千万の予算は出ません。

 

結局社長が見切りを付けてこの仕事はなかったことになり、

僕らは会社の予算をクソみたいなロボット遊びに使って何の利益も上げらなかった集団という肩書の元、

何も出来ない社員のまま研修期間をとっくに過ぎた頃に技術部所属となりました。

 

その後も色々無理な仕事がたくさんありましたが、まあそれはもういいです。

とりあえずサビ残ばっかりでクソでした。

会社が近くに家を借りてくれて、家賃も6万まで出してくれるという待遇でしたが、

終電を気にせず会社に残らせることができたからでしょうねきっと。

 

それでも3年近く勤めました。すごいと思います。

 

ある日いきなりタイに出張に行けと言われました。

先輩でアメリカに出張に行けと言われた人がいました。

その人は僕が入社する前に出張に行ったきり何年も帰ってきてませんでした。

僕は顔も知りませんでした。

聞いた話では結婚して家も買って……というところでアメリカに行かされたとかで。

 

それを聞いていたので、もちろんこちらは身構えます。

すると会社の中でも相当偉い立場にいた専務が僕を寿司屋に連れて行ってくれました。

「ビザは3カ月で切れるから、3カ月で帰ってこれるから」と言いました。

さすがにそれなら大丈夫かと、僕はタイの首都、バンコクへ飛びました。

 

タイに着いて、現地の社員が歓迎会をしてくれました。

そして「引っ越し大変だね」とか「バイク乗るんだ?それどうするの?売るの?」とか言ってきました。もう意味がわかりませんでした。

どうやら3カ月後には一旦日本に帰ってタイに引っ越しする準備をする前提で話が進んでいたらしいです。

もうその日には「帰ったら辞めるわクソが」っていう内容のメールを上司にぶん投げていました。

 

そしてここでの仕事もクソでした。

 

客先「プログラムを作って下さい」

ぼく「どんなプログラムですか」

客先「プログラムです」

ぼく「いや、何をするプログラムを作ればいいんですか」

客先「それは自分で考えて下さい。とにかくプログラムです」

ぼく「これでは全く仕事にならない」

タイ支部の上司「こいつ使えないんですけど」

日本の上司「あいつを行かせた私の人選ミスです」

 

……こんな感じでした。

 

とりあえず日本に帰ってきて即辞めました。

前に僕が担当した案件の改造依頼があるから12月20日くらいまで在籍してほしいと言われましたが、

「知るかバーカ死ね!!!」って感じでした。

だいたい12月20日までって、「残りの仕事は片付けてもらう、ただしボーナスは支給しない」って魂胆が丸見えです。

まあ出ても多くて10万ちょいくらいでしたけども。

「それをやらないなら16日(確か)で辞めてもらう」ということになりましたが、

有給をまともに使えば僕は出勤せずに1月まで在籍していることになっていたはずです。

貰えたはずの諸々を貰えないことにされましたが、もう一刻も早く辞めたかったので辞めました。

 

もうとにかくクソだったなあってことしか思い出せません。

 

今でも当時の同期と年に2回ほど会って飲みに行きます。

ももうそこを辞めています。というか僕を含めて同期は全員辞めています。

 

と思ったらその会社、数年前に解散しました。

倒産じゃなくて解散です。バンドかよ。

ざまあみろクソが。

 

今は転職してまともに仕事しています。

仕事は大変だしまだまだ勉強中ですが、

サビ残がない(むしろ時間を越えて残業すると怒られる)ことに感動しました。

300万しかなかった年収がものすごい上がりました。

家賃手当だけは唯一前の会社の方が2万くらい高かったんですが、

結婚すると家賃手当が倍になるので、今の年収は実質2倍近くです。

 

今ブラックな環境に置かれている人、

世間は「ヤバいと思ったらすぐ逃げていい」とか言いますが、

そんなことすぐには出来ないだろアホかって思います。

僕は無責任にそんなこと言えません。

でも勇気を出す価値はあると思います。