「鬱ロック」に未来はあるのか
10~15年くらい前、邦楽ロック界には「鬱ロック」 という括りがあった。
※「ジャンル」ではなく「括り」としておきたい。
いや、今もあるのかもしれないけど、 それくらいの時期が一番栄えてたような気がする。
個人の意見です。
鬱ロックっていうのは要は、 当時中学生から高校生くらいの多感な時期を過ごしていた男の子が 、
「俺はそんな商業主義には走らねえ、俺は『ホンモノ』 の音楽を知ってる」みたいなことを思いながら、
体育座りでヘッドフォンで爆音で聴くような音楽のことだと思えばまあ間違いないだろう。
10年くらい前の僕のことなんですけど。
あ、一応断っておくけどそういうバンドのファンがみんなそういう 人って訳じゃないです。
最近、こういうバンドがあまり力を持ってないと思いませんか。
僕は思うんですよ。
「三大鬱ロック」なんて言われてたこともありました。
THE BACK HORNはずっと生き残ってますが、今はもう鬱ロックって感じじゃないですね。
ART-SCHOOLも活動していますが、今は昔ほどのセールスを上げられてないのが正直なところだし……(僕は大好きなんですけども)。
Syrup16gについては後述します。
で、これに代わる次の世代!って感じのバンドがあまり出てこない。
いや、出てきたのかもしれない。
pegmap、plenty……色々思いつくけれど、みんな儚く散っていく。
そしてSyrup16g。
最近とある騒動でマイナーなバンド呼ばわりされている彼らですが、
このバンド、なんというかファンが異質なんですよね。 良くも悪くも。
10~15年前っていわゆる携帯サイトが流行ってて、
色々なバンドの非公式ファンサイトがあったんですよ。
で、それぞれ掲示板形式の交流の場を設けて「○○ 好きな人語ろう!」みたいな。
ああいうサイトには独特の空気感があった。
で、Syrup16gはというと、むしろそんなもん 作ろうものなら
「 お前はシロップを何も理解してない」と叱られるでしょう。
アレはみんなで聴くもんじゃないんです。
鬱ロックと括られるのも納得。
まあ、そういう扱いのバンドはもちろん他にもありますが、
特筆すべきはその空気を作り出している五十嵐隆のカリスマ性なの かなと。
ボーカルとギター、作詞作曲を担当している五十嵐隆。
恐らく「音楽で成功してなかったらクズだった」 というタイプの人間だと思う。
もしあれをキャラで、 フィクションでやっているならそれはそれですごい。
クズみたいな人間が作るものは、クズみたいな人間に刺さる。
暗い部屋でヘッドフォンの話も挙げたけど、
だからこのバンド、ファンのスタンスがみんな「 Syrup16gは救い」なんだよね。
ある種のカルトのような印象さえあって、
みんなSyrup16gに救いを求めてるの。
「ああ、Syrup16gね、割と好きだよ」 くらいの軽いスタンスの人が全然いない。
いや、そりゃこの世に一人もいないってことはないだろうけど、
とにかく、五十嵐隆を崇め奉ってる人がたくさんいるんです。
ところが。
このバンド、一度は解散して再結成してるんだけど、
そこで「再結成以降のSyrup16gは聴く気がしない」 って人も現れていたりする。
まぁそれは仕方ない、人の好みだから。
それよりも、それ以上に、「最近Syrup16gを好きになった」 って人を見ないんですよ。
最近好きになった人、そりゃ「全く見ない」って程じゃないけど、
仮にいてもやっぱり鳥取県くらいの感じなんですよ。
昔からついてきた熱狂的なファン、信者と揶揄されることもあるそんな人達しかもう残ってないんじゃないか?
そしてこれに関してはART-SCHOOLもそうだったりするんですよね。
「鬱ロック」という括りに属するバンド全体的にこういった問題を抱えてる気がするんです、最近。
よく言われるのが「五十嵐の貯金が尽きたから」ですね。 もうファンの間では鉄板ネタです。
しかもまたちょっと本当っぽいのがアレですね。
バンドの良し悪しということではなくて、 セールス的な意味で。
新規のファンより離れてくファンが多いんじゃないか?と。
だけどやはりさっき挙げたように、今の熱心なファン( 信者と揶揄されることもある)が強い。
五十嵐隆の貯金がなくなったら私が養ってあげるみたいな人がたく さんいる。俺も養ってほしい。
Syrup16gのファン以外は一生言わないであろう台詞だ。
今となっては某六つ子のファンもたまに同じようなこと言う。
それは結構なのだが、このままだとこの括りの音楽は破綻してしまう気がする。
鬱ロックに未来はあるのか?
まあ、あったらあったで全然鬱っぽくないけど。